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脳log[2010-01-20~]



2010年01月20日 (水) [790FX-GD70] BIOS v1.8 でた。


2010年01月19日 (火) 名前のローマ字表記について、再度。自国の慣習を捨ててなおかつ実際の呼ばれかたと異なる Mei Seiにする理由はどこにもない。かといって単純に Sei Meiにするともはや外国人どころか本人以外の日本人にもどっちがどっちかわからなくなるおそれがある。姓をすべて大文字にする方法があるってね、SEI Meiにすればいいじゃない、というところまでが以前書いたこと。Amazon.comで著者名をもとに本をブラウズすると Carroll, Jim / Carroll, Lewisという風に Sei, Mei形式で名前が並ぶ。TVに映った病室のモニタに Smith, Johnと名前が表示されているのもみた。ruby-devに Redmineから Mei Sei形式で代理送信されてくるメールと、本人が直接送信したメールの差出人欄が食い違っているのが面白い。何人かの人が SEI, Mei形式を使っている。さすがにカンマは省いちゃってもいいかな、というのが個人的な感想。転置されてるという意識がカンマを付けさせるんじゃないの。ピーター フランクルさんはなんでその順番で名乗ってるんだろう?という疑問がふとわいた。


2010年01月17日 (日) [本][大型本] Krzysztof Cwalina, Bard Abrams【.NETのクラスライブラリ設計 開発チーム直伝の設計原則、コーディング標準、パターン (Microsoft.net Development Series)】 日経BPソフトプレス < クレジットされている単独の訳者のその年齢を見たときに、NyaRuRuさんの(原著を基にした)推薦で決めていた購入の、保留を決めたんだけど、アマゾンのカスタマーレビューや他の場所で「これではまるで 機械翻訳 としか思えないんだが?('A`)」という評がやはりみられる。そういうの気になる質だから悩む。


2010年01月15日 (金) ときどきの雑記帖 i戦士篇 2010年1月(中旬)」経由で「10 PHP functions you (probably) never use」。soundex()は SQLiteの内蔵関数で見た。レーヴェンシュタイン距離は最近の ruby-dev(39977)で見た。なんだか PHPの無節操さが好きになってきたぞ。誰かが書いていたように、プログラミング言語ではなく HTML生成のためのテンプレート言語、Rubyではなく eRubyに相当するものだと思えば、何ぞ腹の立たん。ところで PHPの記事を書いた人は本文中で「I have been looking through the available functions and was interested to find some really cool functions that I should have known about.」だとか「I actually use pack() fairly often,」だとか書いていて、タイトルをどう解釈したら整合性がとれるのかわからん。


2010年01月14日 (木) 6. はなんというか…これぞPHPという感が。」PHPの変数名合成( ${‘a' . ‘b'} = ‘c'; echo $ab; // it will output c )について。PowerShellでも似たことができたような、と思って検索した。「変数名を動的に操作できる仕様」記憶にあったのはもっと直接的な「Perl では、${${1}} などのように番号指定参照などを入れ子にすること もできますが、」という感じの操作だったんだけど、Tclの変数置換と混同していたのかもしれない。Tclはみんな文字列だからコマンドも制御構造も文字列で表現されていて、そこに変数の中身を展開してくれるという非常にメタで動的な仕様。(使ったことはないので想像。某かっこの多い言語も似たような雰囲気を持ってるんじゃないかと想像してるんだけど、こちらも使ったことはなく名前しか知らない)


2010年01月13日 (水) [本]「森 博嗣『百年シリーズ』 (スコア:1) NaruTo (1519) : 2010年01月12日 21時05分 (#1701611) オブジェクト指向やインターフェースというものを感覚的に習得するにはいいんじゃないかなぁ。。。。(slashdot.jp)」見過ごせないコメント。浮遊研究室の最後の一冊を読んだ後はそれにしよう。本来のネタに戻ると、「20歳の20冊」の一冊『肩胛骨は翼のなごり』は中身の想像がつかないんだけど、他の本の巻末広告で見かけたときにタイトルの秀逸さと表紙の妖しさが印象に残ってる。二度目の縁だし去年に表紙はそのままで文庫になってるし読んでみよう。あ、間違い発見。『やわらかな心をもつ』の項にカミュの名前が混じってる。カミュを交えて鼎談しただとっ(・д・)


2010年01月12日 (火) [本]「できるかな」の続き。「browse/ReadDate/2009*」の方が見やすい。こんなことができたのね。filter>著者をクリックしてみると「森 博嗣」をもっとも読んだ(7冊)一年だったこともわかる。


2010年01月11日 (月) [正規表現] 鬼車(5.9.2が先日リリースされた)のソースをダウンロードしてみたら、FAQ.jaというドキュメントがあって、スレッドセーフにする方法や、CRLFを改行として扱う方法が書かれていた。その二つは確かに FAQですよ。もっと早くに知りたかった。欲を言えば、(鬼車の)コンパイルオプションでなく実行時(パターンのコンパイル時)オプションだと嬉しかった。同じ場所に USE_UNICODE_ALL_LINE_TERMINATORSというコメントアウトされた記号定数(っていうの?)もあった。LSや PSが「改行」扱いになるのかな。それは JavaScriptと同じだ。デフォルトで両方とも有効(USE_CRNL_AS_LINE_TERMINATORと USE_UNICODE_ALL_LINE_TERMINATORSが定義済み)が良かったなあ。


2010年01月09日 (土)

最終更新: 2010-01-19T03:39+0900

日本語の文字の大きさが変だ。

メモ帳で ABCDEとアイウエオの幅が同じ。 英字のフォントは Consolas。それ以外の部分は……なんだろう?昨年末にメイリオ UIをインストールしたのと関係あるかな?


 @2010-01-18

FontLinkに関連してままある現象のようだけど(>緑町から見た世の中 : fontlink - livedoor Blog(ブログ))、少し前までは普通だったし、メイリオでなく M+1VM+IPAG circleをリンクするとやっぱり普通のサイズ。Meiryo.ttcの変更が原因としか思えないけど、メイリオ UIをインストールした Windows Updateをアンインストールしても戻らない。

 Alpha 0.7.5.16 fix10 のスクリーンショット

Alpha 0.7.5.16 fix10 同じテキストを Alpha(テキストエディタ)の普及版で表示してみた。メモ帳と同じで日本語のサイズがアルファベットと同じ。フォントファイルに原因があれば当然の結果でしょうな。

 Alpha 0.7.93.5 のスクリーンショット

Alpha 0.7.93.5 同じテキストを Alpha(テキストエディタ)の先端バージョンでも表示してみた。日本語の幅はアルファベットの二倍あるがそのフォントは寸詰まりのメイリオではない。また、全角英字が化けている。独特の結果は、FontLinkのようなお手軽機能は使っていないということでしょうか。化けてるのが残念。


2010年01月07日 (木) [本] PDFを表示できる電子ペーパーデバイスの種類が増えてきている。絶対にやらないと息巻いていた自炊だけど、本の山がもう限界だ。小規模な地滑りも起きている。仮に日本でも出版物の電子化が、今年に入って奇跡的に(すでに失望している)すすんだとしても、今持っている本に関しては自分で処理をしなければいけない。手持ちの本の電子版を買い直すのもあほらしい。販路にのらないものもあるだろう。これ以上紙を増やさないと決めたにしても、これまでに積もった紙の山に対処しなければいけない。ScanSnapはいい。でも断裁機も同じ値段がする。価値はわかるけど一時的な目的のためにはオーバースペック。合わせて 7万は無理ですよ。


2010年01月06日 (水) [本] Skiff Readerだって。11.5インチで解像度は 1600×1200。手で持ってる画像があるけど十分ありなサイズ。小さい画面と細かい字は耐えられないからね。


2010年01月05日 (火) [本]『The Time Traveler's Wife』甘々のストーリーは好きだけど、そういう映画の売り方は引いてしまう。焦点が Wifeだということと表紙の女の子の足で妄想をふくらませるには十分でした。


2010年01月04日 (月) [本] 日本人の書いた本に対する不満を前に書いた(20091121)。「読書猿Classic: between / beyond readers」にそれを裏打ちするような記述がある。日本の本はなるべくして使えない本になっているらしい。「アメリカの教科書が、生徒が自分ひとりで本文を読み,図を見て理解できる『読み本』タイプであり、教師が授業で補完しないと学ぶべき内容が完成しないタイプの、いわゆる『授業書』ではない」「日本でも、教科書は『読み本』であるべきか、それとも『授業書』であるべきか、ということが論じられてきた経緯がある。結果、少なくとも高校までの教科書は、薄くて情報量が少ない、『授業書』であり、それだけでは生徒の独習が不可能(といえなくとも難しい)ものになっている(図はかえって実際の観察眼を損なうと考えて,いっさい図を掲載しない教科書まであった)。」(一人で読めて大抵のことは載っている教科書(追記あり) 読書猿Classic: between / beyond readers)。「英語の教科書は最初から『世界商品』として企図されていて、ネイティブでない人たちをもマーケティングの対象にしている。そしてライバルも多い。よって意を尽くしていて説明が分かりやすいのはもちろん、英文のレベルとしてもやさしく分かりやすい。 英語の専門用語は、日常でも使われている語も少なくないが、その分野での特別に与えられた意味については、教科書の中にかならずグロッサリーがあって簡単に説明があるし、新しい専門用語はそもそも本文の中で、前提知識がほとんどいらないくらい、丁寧に説明してある。」(一人で読めて大抵のことは載っている教科書(洋書編):数学からラテン語まで(追記あり) 読書猿Classic: between / beyond readers)