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脳log[20100104]



2010年01月04日 (月) [本] 日本人の書いた本に対する不満を前に書いた(20091121)。「読書猿Classic: between / beyond readers」にそれを裏打ちするような記述がある。日本の本はなるべくして使えない本になっているらしい。「アメリカの教科書が、生徒が自分ひとりで本文を読み,図を見て理解できる『読み本』タイプであり、教師が授業で補完しないと学ぶべき内容が完成しないタイプの、いわゆる『授業書』ではない」「日本でも、教科書は『読み本』であるべきか、それとも『授業書』であるべきか、ということが論じられてきた経緯がある。結果、少なくとも高校までの教科書は、薄くて情報量が少ない、『授業書』であり、それだけでは生徒の独習が不可能(といえなくとも難しい)ものになっている(図はかえって実際の観察眼を損なうと考えて,いっさい図を掲載しない教科書まであった)。」(一人で読めて大抵のことは載っている教科書(追記あり) 読書猿Classic: between / beyond readers)。「英語の教科書は最初から『世界商品』として企図されていて、ネイティブでない人たちをもマーケティングの対象にしている。そしてライバルも多い。よって意を尽くしていて説明が分かりやすいのはもちろん、英文のレベルとしてもやさしく分かりやすい。 英語の専門用語は、日常でも使われている語も少なくないが、その分野での特別に与えられた意味については、教科書の中にかならずグロッサリーがあって簡単に説明があるし、新しい専門用語はそもそも本文の中で、前提知識がほとんどいらないくらい、丁寧に説明してある。」(一人で読めて大抵のことは載っている教科書(洋書編):数学からラテン語まで(追記あり) 読書猿Classic: between / beyond readers)