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脳log[20170415]



2017年04月15日 (土) 連帯責任大好きっ子がいて困っている。俺にしてみればそんな責任形態は存在せず、ただの無責任システムにうつる。責任を負わせる、押しつける側にとって便利であろうとも思う。その連帯に勝手に組み込まれるこちらは迷惑至極である。■これはお金に関する話だ。自分が確認したお金に間違いがあれば責任を負うのは致し方ない。そこに他人が確認して自分が関与しなかったお金が混じれば、その責任を一部なりとも負うことは俺にはできない。■俺が定期的に1万円をちょろまかすと考えよう。1万円足りないので連帯責任の名のもとに人数によって一人頭5000円(3333円、2500円、2000円)の負担が求められる。それを負担してなお俺の手元には5000円(6667円、7500円、8000円)の利益が残る。悪人が得をする欠陥システムではないか。悪人がいなくても、ギャンブル癖と借金がある弱い人間がいるかもしれない。弱い人間がいなくても、封筒に入れたはずの札束の一枚がめくれて封筒の裏側にまわりこんだことに気づかずに紛失してしまううっかり者(※想定してるのは俺)がいるかもしれない。そういうとき責任の所在を有耶無耶のままにしてしまうのが連帯責任というシステムだ。■可能な日は俺がすべてを確認するようにしてる。間違いがあれば俺の責任だし逃れることはできない。シンプルだしそれでいいじゃないかと思うのだけど、俺も、誰かに、間違いがないことを確認してもらわないといけないらしい。それに意味があるか。責任の一部をなすりつけることができるか。でも自分がそれをされるのはまっぴらごめんだというのに、それをせよと求められても承服しがたい。手間もかかる。そうする必要がないときにまであえて欠陥システムを採用したがる理由が俺にはわからない。■俺の確認サインは代理サインてことにしようかな。信用を受けて金額に間違いがないことを確認はしますけれど、お手を煩わせることはしませんけれど、結果責任、金銭的責任は負いませんよと。責任がなければ楯突くような口をきいて文句を言われる理由もない。従いますよ。