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脳log[20200507]



2020年05月07日 (木) Latest topics > 「もっと考えろよ」「想像力なさすぎだろ」みたいな言い方を僕はしたくないなっていう話 - outsider reflex」とそこを経由して「IQが20違うと会話が成立しないと言うのは、事実なのでしょうか?経験はありますか?に対する松本 直樹 (Naoki Matsumoto)さんの回答 - Quora」■piro さんは自分なんかよりもいい経験と出会いをしていてものが良く見えているし、ものが考えられる人だとときどきアンテナに引っかかってくる記事やツイッターを通して知ったつもりでいるんだけど、ちょっと引っかかったので、ちょっとだけ書いてみようと思う。■引っかかったのはこの部分。「この記事を書かれた方(ギフテッドの人)には、もしかして、自分の話を相手に理解してもらえなかった経験はあっても、相手の話が自分には理解できなかった経験が無かったりするんだろうか?」■quora に書いた人はたしかに「でも実際に起きていることは、上のような「なんで何回も説明しないとだめなの」「なんで伝わってくれないの」というようなコミュニケーション不全による高IQ側の孤独さです。なぜ伝わらないのか、何がいけないのかと頭を抱えて涙している、そういうシーンです。」と、わかっている立場から書いているけど、同時に「そもそも自分の日本語が間違っているかもしれない、自分のアイディアが頓珍漢なものかもしれないという恐怖感」が訪れるとも書いているし、また、「馬鹿なことを言っているのは自分じゃないのか、人と満足に交われないのは自分の性格が悪いのではないか、と悩み苦しみ」と、弱い立場からも書いている。孤独な人間は自分の正しさを確かめるために他者を利用できない。自分で自分が信じられなくなったら狂人へまっさかさまだ。「一般人」に囲まれたときそういう恐怖の内にある。だから「相手の話が自分には理解できなかった経験が無かったりする」というのは想定される像から外れると思うのだ。quora の方で「高慢ちきな高IQが「お前たち低能とは話が合わない」と吐き捨てるように告げるシーン」は実像に合わないと否定されているのだが、そのイメージに近づきすぎていやしないかと思うのだ。■『心を読みすぎる 心の理論を支えるワーキングメモリの心理学』(前原 由喜夫) という本を読んだ。「心を読みすぎる」というワードでは伝わらないと思うんだけど、この言葉に込められた意味は、他人の考えが自分にはよくわかっている、と考えているときこそ他人が見えていない、見えていないから(自己を投影しているだけだから)そう思えてしまう、というようなことだ。「ワーキングメモリ」というワードが quora の記事と共通している。quora の記事を書いた人は明らかに単純バカではないから、他人のことを理解しているなどと安直に思い込んで安心することはできないのではないか。だから確かめたいし歩み寄る努力をするんだけど、「一般人」の側があまりにも簡単に、「気持ち悪い」という言葉や「何言ってるの……?」という不審な目でもって、「意味不明な話をしている気味の悪いやつを排斥」してしまうのではないか。■伝える努力をしたくても、理解しよう受け止めようという姿勢を「一般人」の側が持てなければコミュニケーションは成立しない。「「やばい、相手の言ってることがまるで自分には理解できない。どんなに説明されてもチンプンカンプンだ」という感覚」。やばいと感じているうちは大丈夫。「「相手の言ってる事がまるで分からない」時、僕は、すごく惨めな気分になるし、相手に対する申し訳なさや負い目を感じます。」 この気持ちがあるなら大丈夫。でも一方が諦めて排斥して開き直ったら、どうしようもない。そういうことを quora の記事は書いているのではないか。■だから quora の記事がきっかけにすぎなかったとしても、十分に踏まえられていない感じが気になった。