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脳log[2019-09-01~]



2019年09月01日 (日) au と決別した日。A1301S と W53S と W53S(2台目)を使ってちょうど16年間契約していた。W53S(2台目)はまだ5年以上使うつもりだったのだが、内蔵カレンダーが今年末までであり、au の3G停波が2022年に迫っていることもあり、そろそろ潮時かと。au とはようやく手が切れて清々したという感想しかない>20100705p01。それでも au を使い続けていたのは、他がドコモとソフトバンクだったからだ。模範を示せるとしたらドコモだと期待してるんだけどな。■理解できない条件ごたごたの端末割引はいらない(※初期費用は問題ではない)。ごく短期限定の割引価格はただのノイズ(※契約期間の大部分に継続する支払額こそが重要)。データ通信は最低最小限でいい(※それを契約プランによる制約としたい。スライドはいらん)。無料通話枠があると嬉しい。そういう、お守りとして携帯電話を持ちたい元ガラケーユーザーに向けたプランを用意しないのだから仕方がない。■月々1300円少々で1000円分の無料通話(※Eメールで使うパケット代にも充当できる)が付いてくる au のガラケープランが満足のいくものだった。スマホのお漏らし通信を避けられないものとしてパケット定額に相当する金額が余計にかかるのは仕方ないとする。でもその結果が月々2000円(~3000円~4500円)プラス従量制(=無料枠なし)の通話料金というのでは、プランの通信部分にも通話部分にも不満がある。■2000円固定で500円分でも無料通話枠があれば au に残っていた。移った先は1500円固定で従量制(=無料通話なし)の通話料金という内容。使ったら使っただけ通話料金がかかるというのは心理的負担が大きいので、500円なり1000円なりの無料枠の存在もまた大きい。1000円分もしゃべらないから、実質的に通話料金が基本料金に含まれていたも同然だった。


2019年08月25日 (日) テレ朝、ATMに忘れた2万円を盗んだ男を警察24時で大犯罪者のごとく放送 → やりすぎでは?と批判殺到 : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ」■俺の感覚では「落ちてる2万円拾った。ラッキー」なんだよね。ポケットや鞄の中からお金を抜き取ったわけではない。他人の持ち物(※)を自分の物にしたわけではない。だからラッキーで済ませてしまいそうになる。※お金が人の手から手へ受け渡されていくものだから、「持ち物」「所有物」だという感覚が薄くなるのではないか。鞄の中、財布の中、肌身から離れたらもうそれまでよ。それが手元に戻ってくるラッキーもあっていいとは思うけどね、それも所詮はラッキーなんだな。■関連。20170329「使い切れそうにないお金を持っている人が近くにいたら、そりゃ、代わりに使ってあげるのが義務であり使命ってもんでしょう。持ち主、使い手、周囲の経済圏、三方良しの win-win-winで誰が文句を言う?」■実際問題自分がどういう行動をとるかを考えると、たぶんお金には触らない。行員に教えるか、手近にいなければ知らないふりで他の ATM を使う。うっかり自分の財布にしまおうものなら、背後が気になって気になって精神的に耐えられない、ということが子供の頃の経験で身に染みている。


2019年08月24日 (土) 「行間を読む」に新しい解釈の可能性を見つけた。■自分はこれまで当然のように、書かれたこと(行)を読んで理解したうえで、書かれていないこと(行間)にまで想像を巡らせることだと思っていたし、その上で「言外の意図まで読むが、言葉にされたことだけを受け止める、というのがいいと思ってる」ということも書いた。■しかし考えていたのだ、行を読めない人間が行間を読むことを得意にできる理由とは何かを。それってひょっとして、行間「しか」読んでいないのではないか。ワオ。「行間」のアイデンティティが揺らいでいるぞ。基盤となる行なしに行間が存在しうるのか。■目が曇ってるからテキトー言いっ放し齟齬ありまくりでも矯正が効かないのだろう。分野は違うけど森先生のためになるお言葉がありました。精度を上げるにはまずは狂いを知覚することだとかなんとか。加工をする手が一番ではないのだ。


2019年08月22日 (木) にゃんこが畳を踏む音が聞こえる。入口で一歩を踏み出したまま、こちらを見ている。うむ。床の高さでぶらぶらするとタタッと駆け寄ってきて飛び上がる。奥ゆかしい奴よ。いなくなってもしばらくは聞こえていたけど、もうそういうこともない。


2019年08月19日 (月) モヒカン族 (ネット用語) - Wikipedia」■飾らない言葉で正論という(まさかり)を投げつけることに躊躇しないというようなイメージ(※これ自体今初めて言語化したぐらいにぼんやりしたものだ)でしか知らなかったが、いろいろ書かれている。すごく、シンパシーを感じる。隅々まで。


2019年08月18日 (日) 追悼 瀧本哲史さん 30年来の友人が語る「天才の人間性」 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)」■本の著者として知っている名前。お迎えが来る年齢でもないだろうに、驚いた。


2019年08月15日 (木) "クソコード"は人格攻撃ではないのか|qsona|note」■受け止める心情は大いに理解できるものだけど、それを引き起こすのは「クソコード」という指摘ではないと思った。自分の場合は。■まず、「クソコードである」というだけでは「俺はそれが気に入らない」というお気持ちの表明であり、そんなものはクソの役にも立たないので言葉を補ってもらう(※できないならクソはお前であり怒る理由にもならない。去ね)。~の考慮が足りない、~という問題を起こす、~する方が~だから良い設計になる、などなど。そういうものは人格攻撃とは受け取られない。■一方でやはり「コードの改善提案はその人の一部への改善提案だ。コードをリライトされたらそれはその人の一部がリライトされたのだ。」という状況は存在する。自分の場合それは細部へのこだわりから生じる。秩序、一貫性、読みやすさ、コードを構成する流れ、背景にある哲学といった、正誤や数値の大小では捉えられないものだ。誤っているという指摘なら受け入れて訂正できる。(計算量のオーダーが変わってくるほど)数値が劣っているというなら受け入れて優れた手法を採用できる。一長一短があるというなら優先順位を議論することができる。そうではない、言ってみれば「どうでもいい部分」こそが実は「どうでも良くない」のだ。要するに、「(結果に対して)どうでもいい部分」こそが「(書いた当人にとって)どうでも良くない」ということ。それは目的に向かって当人が選び歩んだ軌跡であり、目的が達成されている限りは、傍観者が茶々を入れて許されることではないと感じる。■まとめ。「クソの役にも立たない」修正要求が人格攻撃として感情的対立を煽る、と書いた。お気持ちに基づくマウント合戦の始まり。おう、受けて立ってやるぜ。ところがここから、対話を成立させないことにより合戦が始まらないという第二の状況が現れた。「俺の意見が結論だ」である。正誤も優劣もお気持ちもその前には等しく無意味だ。横暴な上司、というのではない。ではこの勘違い野郎は何様か。■なぜか 20190806 ではなくこちらに関連する?「担当編集者さんのご趣味で、ご自身の大好きな、猫を出して差し上げるまではネームが絶対に通りませんでした。ご自身の夢だった獣医師という設定をキャラクターにつけるまで「レズビアンの殺人犯でお嬢様というだけではあまりにも無特徴」「読者に引っかかるものがない」とのことで、掲載の可否を決める会議にすら持って行ってもらえない、という時期が続きました。何度直しても、他にどんな物語を提案しても、獣医師と猫を出すまでは絶対に駄目でした。担当編集者さん個人のご趣味のために作家生命のかかった企画を捻じ曲げて自身の名義で描くのは、とても辛いものでした。


2019年08月14日 (水) にゃーん。


2019年08月09日 (金) WHY の人、WHAT の人、HOW の人。「これら3つのパターンは、100-0ではありません。誰しもがそれぞれの思考を持っています。ただし、僕の観察では、ひとりひとり明確に強弱を持っているように思います。」■自分の強弱は……。WHY(なぜその提案が正しいのか?)が一番弱く、一見して筋が通っていれば数字は気にしない。WHAT(ビジネスとしてあるべき姿を追求していくべきだ)がなければ WHY にも HOW にも価値がないので一番大事。HOW(その提案をどのように実現するか?)は WHAT に向けて工夫をする対象だから WHAT の次、という感じ?■■■ところでこの W語、H語の選び方や分類結果にすごく違和感がある。分類ごとに一貫した別々の人間像が見えない。分類する対象をはっきり掴んで分離できていないのではないか。■自分の感覚では一番は WHY(なぜそうするべきなのか。理想・指針に照らしての価値)で2番が HOW(ゴールへ至るプロセス。その合理性と正しさ)、WHAT(具体的・定量的なゴール。その達成)が3番目。■WHY が疎かになると効果のない無駄が温存される。WHAT を過度に優先すると帳尻合わせの改竄に走る。HOW を過度に優先すると現実から遊離しがち。バランス。自分は原理・プロセス偏重で、あとはなるようになれ。ところで、重視するという「プロセス」は与えられるものではなく WHAT へ向けて考えるものだということに注意。■■■記事の人は観察者の視点で分類していて、自分は主観で分類しているところに齟齬があるかも。たとえば記事が「HOW の人」と分類した人は、「具体的・定量的なゴール。その達成」が至上であり所与であるからこそ、結果を出せるかどうか、そのプロセスを問う。「それをどのように実現するのか?」「できるの?」■記事で「WHY の人」と分類された人は、「ゴールへ至るプロセス」が至上であり所与のものであるからこそ、それが結果につながるのかどうかを問う。「なぜそれが正しいのか?」「おかしくないですか?」■記事で「WHAT の人」と分類された人は、「なぜそうするべきなのか。理想・指針に照らしての価値」が至上であり所与だからこそ、方向性を問う。「それは何を意味しているのか?」「結局なに?」「何をしたいの?」


2019年08月08日 (木) 私がこれまでに取材をしてきたひきこもり当事者の方の多くは、仕事に就いていなかったり、子どもを生んでいないなどといった「社会に貢献できていないのではないか」という負い目に苦しみ、今もそこから抜け出せずにいます。 「助けて欲しい」という声を上げることは、死ぬことよりも難しい。それが、彼らの直面している現実です。」■助けて「あげる」、ではなくて、地域のちょっとした雑事でもなんでも、継続して手伝って「もらう」、そのお礼として食事をふるまうことでもできれば、まだ生きられたのではないか。■2日間限定だったけど注文をまちがえる料理店という試みがあった。認知症の人をただの要介護者にしない仕掛け。一方的に与える・与えられるという関係は歪で、受け入れられないのがある意味普通の感覚なんでは。■ちんけなプライドなんか捨てちまえとか、面倒くせー野郎だなとかは言わない約束。「面倒くさくない女の子なんていませんよ」とはいろはすの言。じゃあしかたないね。■聞き直してみるとこのあと「そうだろうな、面倒くさくない人間なんてそもそもいないし」「うわ、先輩面倒くさ」と会話が続いていた。正しい。圧倒的に正しい。「じゃあしかたないね」と書いたとき、対象が女の子であるかどうかは全く問題にしていなかった。


2019年08月06日 (火) リンク1。「なぜ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論の問題作なのか?それはゲーマーに対するふかい愛があるからだ - ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」■リンク2。「一晩寝て冷静に考えてみた『ドラゴンクエスト ユアストーリー』どこが良くてどこがダメだったのか - CDBのまんがdeシネマ日記」■共通する部分があると思った。2番目のリンク先を読んで思い出した漫画『羣青』の中巻にあるセリフ。「さっき……ごめんな、旅館で。傷付けたかったんじゃないんだよ。」「俺はお前が同性愛者として生きても構わないってことをな、伝えたかっただけなんだ。」(ちょっと省略)「俺は、同性愛者を、認めたいと思う。」「恋愛は自由、なんだから。」 漫画なので絵がある。これを受け止める人物の「きっついなー」という表情に、読んでいた当時教えられた。8年前。


2019年08月02日 (金) [B! メルカリ] メルカリ、車の「ナンバープレート」を読み取るだけで相場が分かる新機能 - CNET Japan」■脊髄反射ブコメへ。冒頭の画像に写ってるアプリ画面を見ればわかるし、見なくても想像できる。ナンバープレートはカメラを向けるターゲットマーカーであって、アプリは車の正面を捉えている。ひねくれ者としては「ナンバー」っていうならナンバープレートだけで画面を覆い尽くしてやろうかと考えるところだけど、アプリ画面の文字を読んでみるとそれはできないことがわかる。車種・年式を入力する手間が省けるというだけのことで、「その車」の価値が見積もれるわけじゃない。売る方も買う方も同じ程度にわからない同士ならそれでいいんでしょう。稀覯本をブックオフに売ろうという人も買おうという人もいませんからね(たぶん。案外?)。


2019年07月31日 (水) Hironori Iwasaki 岩嵜博論さんのツイート: "コペンハーゲンは歩行者以上自動車以下の中速度、中距離帯の道路インフラを先見の明で整備したことが都市の強みに直結していると思う。 自転車に加えて電動スクーターの登場でこのレイヤーのインパクトを改めて実感。… "」■『[大型本] 株式会社スクウェア・エニックス『FFXV』AIチーム【FINAL FANTASY XV の人工知能 - ゲームAIから見える未来】 ボーンデジタル』に書かれていたのだが、スクエニの人が FF15 のために読んだという本『[単行本] ヤン ゲール【建物のあいだのアクティビティ (SD選書)】 鹿島出版会』を今読んでる。コペンハーゲンの事例写真多し。■この本って人と人を結び付ける、または隔離する都市の形、建築の形を書いてるんだけど、それに加えて自分にとっては、ヒトはこういう風に考えて行動するのか、という発見があった。ヒトとしての振る舞い方を初めて教えてもらった気分。■■■@2019-08-20 その後積ん読から『[単行本] ヤコブ ビリング【児童性愛者―ペドファイル】 解放出版社』を取り出して読んでるんだけど、何の因果かこれの舞台もコペンハーゲンだった。デンマーク児童性愛愛好者協会という合法の団体が会合を開いていたのがそこらしい。